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優雅な暮らしにおカネは要らない 貴族式シンプルライフのすすめ
- 作者: アレクサンダー・フォン・シェーンブルク,畔上司
- 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
- 発売日: 2006/03/24
- メディア: 単行本
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めずらしく二度読みしてしまった。
強い野心を持っている人ほど不満を抱きやすく、不機嫌になったり、、さらにはうつ病になりやすい。 (34p)
労働の目的は本来、ひまを作ることだった。その考えに、私たちは立ち戻らねばならない。労働は、たとえわずかなお金が得られるにしても、決して神聖な活動ではなく必要悪なのだということを思い起こさねばならない。
労働は、人類史の大半の時期において、誇り高いものではなかった。誇り高かったのは、人間を助けること、人間に教えること、人間を守ることだった。労働は困窮から生まれた。あるいは、金ほしさから生まれた。労働が道徳的だとされるようになったのは、宗教改革以降のことだ。その後、長期にわたって、人間はこの新たな倫理に抵抗していたが、いつの間にかそれを受け入れてしまった。マルクスとエンゲルスに至っては「労働する権利」を基本的人権の一つと考えるようになり、それ以降、この考えは各政党の選挙公約に入るようになった。(41〜42p)
豪華に暮らすとモノをどんどん家のなかに持ち込むことになるが、シンプルに暮らすには、ともかくモノを置かないことだ。その結果、豪華な暮らしは家のなかが狭くなるが、何もないすっきりとあか抜けした暮らしなら、室内はむしろ広々となる。
すっきりとあか抜けた暮らしにとって、最大の敵はお金なのである。(45〜46p)
食事は大切なコミュニケーションの場であり、座の中心は、一つテーブルに座っている人たちなのだ。だが残念ながら、現在の先進国では料理が座の中心になっている。 (59p)
物価の高い都会の自宅で一週間節約生活をするよりも、生活費の安いところで一ヶ月間、贅沢三昧をしたほうがお金がかからない。(82p)
エレガンスというのは、何よりもまず「どう着こなしているか」であって、「何を着ているか」ではない。 (88p)
「お金をたくさん持っていない人は、品質を重視しなければならない。着ていて飽きない服、あまり早く傷まない服が必要だからだ」マダム・エラスリス (91p)
生活の質を上げたければ、それも、もっともエレガンスかつ効率的に実現したければ、日々の生活の中でもっと体を動かすことだ。しかも、これで運動不足を解消しても一銭もかからない。
動くことによって得られる「活き活きとした感覚」は、お金では買えない (100p)
文化と称するものに生活がかき乱されないためには、たとえば、「特定の分野について専門的知識を得る」のがいい。減収は辛いが、これを逆手にとって、自分にとっての優先順位を決めるチャンスにするのだ。正真正銘の情熱を持って追求する大正があれば、そのほかはすべてガラクタとして処分できる。(116p)
「もっと」を求める衝動、「もっとよいこと」「もっと新しいこと」を求める衝動は、私たちの本性の一部だ。本性は否定できないから、こうした衝動に抵抗する人は不幸になる。楽しみを味わうための秘訣は、自分の欲望を知って、それを抑えたり否定したりするのではなく、ほどよくコントロールすることだ。(122p)
科学的な調査によれば、何かをほしいと思っているあいだは人は興奮するが、希望が満たされれば退屈になってしまう。 (132p)
所持金が少なくなっても、「豊かな人生」の源は少なくならない。
たとえば自立心。これが収入と関連したことは今までに一度もない。
そして礼儀正しさ。(152p)
礼儀正しさ、親切心、友情、協力心といったものはどれも生活を快適にしてくれる。これらは物質的な状況とは、まったく無関係だ。人に親切にしすぎるとか、協力しすぎるということはあり得ない。 (152p)
ドイツビールが無性に飲みたくなった