ドイツ流賢母のすすめ

ドイツ流賢母のすすめ

子どもの考える力と行動する力は、ゆっくりと、いくつかの段階を経て成長していくものです。
はじめのうちは現実のごく一部を五感を通して察することしかできません。
長いこと、子どもは何かを感じとっているだけです。というよりも、体全体が何かを感じるためにある。                     (21p)

小さな子どもの尺度は大人とはまったく違います。子どもは悠久の時と結ばれているのです。
時間をかけて、何かをじっくり見ている人の観察は正確です。
論理的なものの見方・考え方が育つのは、七歳ごろのことです。事柄を逆から考えていけるようになるのも、この年齢をすぎてからのこと。時間の感覚が育ち、過去と未来に関する概念が育ってくるのも、この頃になってからのことです。
それまでの子どもには、「今」しかありません。計算ができるようになったり、足し算だけではなく引き算もできる、ということを本当に理解できるようになるのは、それからのことなのです。それまでの思考はつねに先に進むもので、折り返して考えることはできません。
子どもが大人のような思考力を持つまでの道のりには、夢と現実の間を行き来する多くの体験と理解が必要です。小さいうちは、子どもは無機的なものに魂を見出し生き物と同じ、と考えていることがあります。       (22〜23p)

子どもにお手本を示すことを早すぎる段階でやめてしまうと、そして、子どもが子どもの責任で勝手に行動を決めたり、自分の運命を左右するような決定を下さなくてはならないような環境においてしまうと、子どもに大きな無理をさせることになります。
思春期に入って、自分で判断が下せるようになるまで、子どもはお手本を必要としています。心の中にお手本があってはじめて、行動パターンのレパートリーを広げていくことができるのです。     (30〜31p)

お手本を示すだけでは足りません。子どもは、親がしっかりと決めた、限られた、そして守られた空間の中で、自分なりに行動し、正しい行動が取れたということを、確認できるようでなくてはなりません。自分自身の能力や可能性を次第に正しく判断できるようになるまで多くの刺激を与えられ、また、多くのことを禁じられなくてはなりません。   (58p)

子どもにとって、周りに模倣する価値のあるお手本があることは、教育上とても大切なことですが、同じように大切なことは、限られた守られた空間の中で、ルールに従いながらも自分の人格と実力を発見していき、二つとない独自の人格を形成していけることです。
人生とはルールだらけ。ルールがなければ、人は共同生活はできません。  (59p)

人が人になるためには、魂をゆっくりと身体に取り込んでいかなくてはならない。
簡単な真実なのですが、時間がかかる、ゆっくりとしたプロセスです。そして、このことを十分に意識した上で、サポートしなくてはならないことなのです。  (170p)

すべてのことは学習されなければなりません。行動も例外ではありません。学習プロセスは脳というフィルターを通り、繰り返したたき込まれていくものなのです。なんども繰り返すことは、習慣となり、習慣は正確となり、それは身体にも現れるものです。教育とは、良い習慣を資質に変えていくことでもあります。それは、生まれてすぐに始まることであり、これが「三つ子の魂百まで」といわれることです。       (170〜171p)

子どもに安定した教育をしてあげることは、安定したお母さんにしかできないことは当然です。
安定したおかあさんとは、どんなお母さんのことでしょうか。
子どもが、まだ自分ではいろいろなことができない、ということを知っている人です。子どもが押さない、ということを知っており、子どものところに到達する刺激にフィルターをかけます。子どもの注意力に方向をつけて、集中して何かに気を向けることを教えます。そして、世界のリズムと協調したい、という子どもの本能を知っています。リズムが子どもの魂を体に落ち着かせるといういうことを知っているのです。
ですから子どもが昼と夜の違いを学び、夜には休み、昼間には楽しく活動することを教えるのです。子どもが必要とする食べものを、規則正しく用意し、ルールやしきたりなどによって生活に安定した“枠”を与えるのです。    (172p)