生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える (PHP文庫)

生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える (PHP文庫)

ここのところ、ひどい孤独感に浸っていた。
状況は変えようがないけれど、むなしい思いからは開放された。

そりの合わない義母との関係をどう考えたらいいか、
そんな例が欲しかったと、切に思う。


 「愛とは本質的に、意志に基づいた行為であるべきだ。自分の全人生を相手の人生に賭けようという、決断の行為であるべきだ。だれかを愛するというのは、たんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である。もしも、愛がたんなる感情にすぎないとすれば、『あなたを永遠に愛します』という約束には、何の根拠もないことになる。なぜなら、感情は生まれ、また消えてゆくからだ。
 しばしば見受けられるのが、『愛さえあれば絶対に対立など生じない』という幻想である。二人の人間のあいだに生じる真の対立、すなわち内的現実の奥で体験されるような対立は、決して破壊的なものではない。そのような対立はかならず解決され、カタルシスをもたらし、それによって二人は、より豊かな知識と能力を得ることができる。
 そのような経験にもとづく愛は、たえ間ない挑戦である。それは安らぎの場ではなく、活動であり、成長であり、共同作業なのである」 
               エーリッヒ・フロム『愛するということ』より

引用の引用なんだけど、胸に迫るものがある。
「愛してなんかいない」としか結論づけられない思いが湧き出る。
蓋をしていた感情が噴き出してくるというほうが、より正確かもしれない。

著者は、上記の引用に続けて次のように綴る。

 ソウルメイトたち、なかでも夫婦として何度も何度も生まれ変わりをくり返している相手は、たがいに切磋琢磨できる相手だからこそ、時には両者の間に、解決すべき大きな試練を課して生まれてくることがあります。
 その時、「こんな問題をかかえているのでは夫婦としてやっていけない」と考えるのではなく、「課題があるからこそ夫婦であり、いちばんのソウルメイトだからこそ、力を合わせて乗り切れるのだ」と考えることが大切です。そして、フロムが言うように、「この人を絶対に愛するという強靭な意志」にささえられた「共同作業」としての課題解決を心がければ、今回のこの世に生まれてきた大きな目的を果たすことができるにちがいありません。

……。自分の状況にどう当てはめて、どう考えればいいのか、途方にくれる。



 肉体をもって物質世界に生まれる私たちの人生は、その最終目的が「修行」であり、「自分で計画した問題集を解くこと」であっても、決して「辛いだけの苦行」ではない  (略)  この世ですごす人生とは、「楽しみながら学ぶ修行」の場であり、決して、「辛い苦行」の場ではありません。
 一般に、宗教でいう「因果応報」「輪廻転生」というと、「人生とは、つらい苦行の場であり、歯を食いしばって、すべての快楽と欲を捨てなければならない」といった、暗く厳しいイメージとしてとらえられてしまいがちです。しかし、「生まれ変わり」の科学的研究をみるかぎり、確かに「必要以上の強欲」は捨てなければなりませんが、日々の生活や人生そのものについては、大いに楽しみ、創造的に生きるべきであることがわかります。
 人生を「つらい苦行」としてとらえてしまうと、毎日をひたすら瞑想してばかりですごしたり、何もかもがまんして耐えしのんだり、他人との交流を絶ってひとりきりの世界にこもってしまうなど、非創造的で、後ろ向きの人生へとつながりかねません。しかし、人生はむしろ「楽しみながら学ぶ修行」の場であり、多くの人々と出会い、大いに愛し合い、力を合わせ、むだな殺生をしたり人に迷惑をかけたりしないかぎりで、自分なりの趣味や娯楽を楽しみながら、計画しておいた課題を解いていけばよいのです。
 いいかえれば、人生とは、「自分らしさ」(アイデンティティ)の追及の場であり、さまざまな価値を創造しながら成長していく過程だといえます。「自分らしく生きること」は、私たちに人間として与えられた、根本的な修行課題です。自分らしい趣味や娯楽を楽しむことは、決して否定すべきことではなく、むしろ創造的活動につながるならば、大いに楽しめばよいのです。大切なのは、その「楽しみ」の程度であり、はめをはずしたり、うっかり人々や生物たちや地球に迷惑をかけたりしてはならない、ということにすぎません。
 私たちに課せられているのは、肉体を持って生きていることに感謝し、周囲に迷惑をかけない範囲で、毎日の生活を大いに楽しみながら、創造的に生きていくことです。  (略)
 「強欲を克服すること」と、「生活を楽しむこと」とを、上手に両立させることこそが、「人生の目的」の一つなのです。この二つの目的を兼ね備えてこそ、その人生を終えた時、「充実した、創造的な人生だった」と自己評価することができるでしょう。     (360p〜362p) 

これまで、他人を傷つける言動を十ほど行っていたならば、今から、九に減らしてみましょう。一度にゼロまで減らそうとしては、かえって「苦行」になってしまいます。九に減らすだけでいい、と考えて言動しているうちに、しだいに九が当たり前になりますから、その九からまた一だけ減らそうとしていれば、いつのまにかどんどん減っていることでしょう。
 それでも、「自分はどうしても他人を傷つけてしまう性格だ」という方は、ちょっと発想を変えて、他人を傷つけてしまった分を上回るくらい、他人を喜ばせてあげましょう。他人を傷つける言動を十ほど行ってしまったならば、それと同時に、他人を喜ばせる言動を十一ほど行うように心がけましょう。                      (363p)

 自分の過去を反省することも大切ですが、悔いるばかりで暗く落ち込んでいるのでは、人生がただの「苦行」になってしまい、俗世間に背を向けて山にこもるしかなくなります。
 私たちがわざわざ、この物質世界に肉体をもって生まれてくる大きな理由が、「人間関係を学ぶこと」であることがわかった今、俗世間から遠ざかるのではなく、多くの旧いソウルメイトたちと再会し、あらたにソウルメイトとなってくれる人たちと出会うことこそが、「楽しみながら学ぶ修行」の意味であることは明らかです。「人づきあいは面倒だから」といって敬遠しているかぎり、意識体としての進歩はのぞめず、わざわざ地球に修行に来ている意味がありません。                                (365p)