宇宙を貫く幸せの法則

宇宙を貫く幸せの法則

実際に私が読んだのは「幸せの宇宙構造―すべての人が幸せになる方法」という題のものだけど
検索したらこれしか出てこないから、きっと改題されて内容は同じものなのだろう

どんな現象も見方次第。
宇宙の現象には「幸」も「不幸」もない。「プラス」も「マイナス」もなく、「成功」も「失敗」もない。「敵」も「味方」もなく、「勝利」も「敗北」もない。宇宙的には?絶対的なもの?としては、それらは何一つ存在していないのです。「そう思う心」があるだけです。   (3p)


「念を入れて生きる」
「念」という文字を分解すると、「今」の「心」と書いてあります。「今」の「心」とは、今、目の前にいる人を大事にし、今、目の前のことを大事にするということ。それだけです。
「念ずる」という意味には、念ずれば未来が呼び寄せられるとか、念ずれば自分のイメージどおりに未来を作ることができるとか、そういう意味は入っていません。念ずるとは、ただひたすら今を大事にする心であり、今、目の前の人を大事にし、今、目の前のことを大事にするということに尽きるのです。(略)
今をひたすら生きること、今、目の前にいる人を一生懸命に大事にすること、それ以外に人生はないのです。今日寝て起きたら、明日ではないのです。今日寝て起きたら、起きたときは今日です。今日寝て起きたら、起きたときは今日。
明日という日は永久にきません。常に、今日、今、目の前に存在している人をひたすら大事にし、やるべきことをひたすら大事にやっていく。
人生はだたそれだけのようです。  (160〜161ページ)



「い・ど・お」
威張らないこと・怒鳴らないこと・怒らないこと。
どんなことがあっても威張らない・どんなことがあっても怒鳴らない、声を荒げない、そして怒らない、腹を立てないこと。
これは、自分が謙虚であれば必ず実践することができます。ただし、自分は間違っていないとか、自分が正義であるとか、相手が間違っているのだとか、そのように思ったときには、人間は威張ったり、怒鳴ったり、怒ったりしてしまいます。せいぎやしめいを
人間の心の中に正義感や使命感などがなかったとしたら、この世にどんなに平和な日が待ちうけているかわかりません。  (164p)


私たちの心のなかに正義や使命があるのは構わないと思います。自分の心のなかの問題として、正義や使命を持つことは、どんなに高いもの・重たいものを持っていても構わないと思います。自分が自分を律するという意味で、どんなに自分に対して厳しくてもよいとは思うのです。しかし、自分に対する厳しさ、自分に対する律し方を他人に対して指さして押し付け始めたとき、そこに憎しみや争い・怒りが湧いてくることになります。
正義や使命は神の領域にあると思えます。しかし、そこに「感」が付いたとき、つまり正義感や使命感になったとき、もしかしたら、その正義感や使命は感悪魔の領域にあるのではないでしょうか。相手を憎み、恨み、怒り、自分を正当だと思い、相手を軽蔑し、というような心の動きにつながってくるような気がします。
正義や使命を持つのはよい。感じるのはよい。しかし、それをほかの人に振り回したとき、回りはとてもつらい状態になり、心地の悪い思いになります。正義感や使命感を振り回さないこと。「感」を振り回すと、周りの人を傷つけます。(166〜167p)


「五戒」を口にしなくなると、数ヶ月で「頼まれごと」が始まります。その「頼まれ事」を「はい、はい」と言ってやっていくと、3年ほどして、なぜかある方向で自分が動かされていることに気付きます。
「どうも、私の〝使命〟はこの辺にあるらしい」と思う瞬間があるのです。その瞬間を「立命の瞬間」と呼びます。「使命」に気付き、それを自覚したときが「立命」のときです。
私たちは「目標を持て」と教え込まれてきました。「達成目標」を立て、そこに向かって汗をかくこと、努力すること、自分を磨くこと、それこそが価値だというふうに教え込まれてきました。しかし、私が把握した宇宙の構造論というのは、そういう方向ではありません。人間が幸せになるということは、自分の達成目標を立てて、そこに向かって眉間にしわを寄せながら進んでいくことではなく、どうももっとラクに考えてよいようなのです。
頼まれごとをすること。いかに頼まれ事をするか、ということに尽きます。
「頼まれごとをする」「頼まれやすい人になる」というのは庶民的な言い方ですが、それを哲学的な言い方にすると、「いかに喜ばれる存在になるか」ということになります。
頼まれごとのない人生とは、まさに星空のない夜であり、月のない夜のようなものです。太陽のない昼間といってもよいでしょう。もともと太陽がなければ昼間が存在しないわけで、それほど大事な、基本的な構成要素なのです。(181〜182p)


ただひたすら「頼まれ事」をやっていくこと。その結果、三つに一つは有料。さらに、その有料のもののうち三つに一つは「ちょっと大目」の報酬をいただくことがあります。  (185p)


実践する分野は三つで、「心」の分野でどんなときも「い(ばらない)・ど(ならない)・お(こらない)」こと、「言葉の分野でたくさん「ありがとう」を言うこと、「行為」の分野では「トイレ掃除」をし続けること、です。  (212p)